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しら玉

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ほんのりとミルクの風味を生かした、白くてまんまるなしら玉。

室町期の1455年頃、足利成氏が鎌倉より古河に移り、以降古河公方と称し、その後120年余関東に於ける政治・文化の中心地となりました。

その古河公方の御所に住み、美しく賢いと誉れの高かった五代氏姫が、数多い野鳥の中でも特に愛でたという白鷺の卵に似せた当店を代表するお菓子です。

*夏期は四日以内、冬期は七日以内にお召し上がり下さい。

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特注品 緑白 仏事用

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特注品 紅白 お祝い用


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1個売り 65円 店頭販売のみ

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12個 徳用箱 810円


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15個 進物用化粧箱 1,100円

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18個 1,300円


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24個 1,720円

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28個 2,000円


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35個 2,480円

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48個 3,350円


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足利氏姫の法号により徳源院と称した寺の跡

足利 氏姫(あしかが うじのひめ、天正2年(1574年) - 元和6年5月6日(1620年6月6日))は、安土桃山時代から江戸時代の人物。第5代古河公方・足利義氏の娘。実名不明。氏女とも呼ばれる。母は北条氏康の娘・浄光院殿

天正11年(1583年)、父・義氏が亡くなると、嫡男・梅千代王丸がすでに他界していたためその姉である氏姫が僅か9歳で家督を継いだ。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼした後は、332石を与えられて古河城を退去。足利氏一門の幸手城主一色氏久ら「御連判衆」の補佐を受けつつ鴻巣御所に住した。
翌天正19年(1591年)秀吉の命により、敵対していた小弓公方足利義明の孫・足利国朝と結婚。文禄2年(1593年)に国朝が亡くなると、その弟である足利頼氏(のちに喜連川藩2代藩主)と再婚し、一子足利義親を儲けた。
しかし、喜連川立藩政策に不満を持つ氏姫は喜連川には赴かず、義親とともに鴻巣御所に留まって、元和6年(1620年)5月に47歳で死去。

足利氏姫の法号により徳源院と称した寺の跡は古河総合公園に残っています。

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